香港高地探検団 2006
文:馬依琳
圖: 莫炳亮及御風車隊全體隊員 |
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7/16-18
香港、南寧、昆明
我々やっと出発した。以前と違い、今回は四駆専門店が休業とした。一ヶ月半で中国西部を走り回る予定であった。?蔵線からチベットのチョモランマ麓へ、チベットからパミール高地とホンチラプ、また南新疆から紅原へ、また重慶経由香港へ戻る。三つのコースだが、一気に走破したいので、この団体を“御風”に名づけた。今回の旅のために、全員LEXUS LX470/豊田LC100にした。車が一見でも驚くほど、全くおなじです。黒、シルバーと白の区別だけで、たまに隊員が乗り間違いの場合もある、面白かった。
初日の天気が悪かった。ほぼ河道になった。昨夜皆興奮でよく眠れなかったから、運転の人は辛かった。前日荷造りで遅くまで起きていた。途中野営の場合が多い、砂漠と雪山など天気の差異の大きい環境の中、出来るだけたくさん常備品を持たなければならないから。それぞれの車は仮装部品、270リッタのガゾリンと荷物を加え、元より1トン以上重くなるだろうとお父さんが想った。もし六輪車を仮装して行くなら良かったのに。子供の時、お父さんと少輝叔父さんが運転したことが記憶にあった。あの車はもっと安定的、将来もっと遠い所へ行くなら持っていけばいいだろう。
重荷を積んで車が疲れている模様であった。外は大雨が注いできた、洪水のように。道に水が溢れて、そばの山から滝が垂れて、前の道が真っ白になった。車隊が徐々に進んでいった。
7/19
最初の三日間は大雨に向かって走った。我々学生さんを連れて行きたいなら、雨季にでることしか出来ない。皆が好きな雲南についた。ここは違う文化が混じっているところ。子供の時車隊と初めて一緒にいたところだ。昆明を出ると、“汽車”のレールを見つけた。このレールはベトナムまで行けるとお父さんから聞いた。間もなくミャンマーロードも通りすぎた。歴史の授業で第二次世界大戦の間アメリカ軍隊のGMC6×6トラックがこの道でゆっくり上る写真を見た。まだゆっくりみられないうちに我々がここを通った。
7/20
鶴慶、徳欽
鶴慶から徳欽へ、その後シャングリーラに入った。シャングリーラは心の聖地と言われ、伝説の中に人類の一番住みやすいところだそうです。車に外をのぞいただけ、広い芝生に様様な花が咲いて、薄い霧が漂って、自由と親しい感じを身に付けた。車隊は3000Mのところに止まり、遠い先にある三角形の梅裏という山を眺めた。中央にある処女峰はまだ誰も上ったことがない山だ。こんな高いところへきて、ポテトチップが爆裂ほか、隊員に高山反応の人もいた。車も同じ、タイヤとガソリンタンクも気圧を放した。徳欽は山の城で、真っ黒の世界に輝いていた。車隊は深夜に徳欽に着いた。
7/21
徳欽、竹卞
雲南を離れ、チベット境に入った時、一号車のタイヤがバーストした。(車が重すぎるせいか、だれも気が付かずにバーストした)村に入り、子供達に止められた。トランシーバーからHey、どうしたのか、七、八人の子供が車に登ったとのこと。最後の車が囲まれてなかなか出らなかった。この車隊を見たら、村の子供達が皆出てきて、食べ物を乞った。やむを得ず飴をあげたら、Vの手振りも見せ、多分二元がほしいと言う意味だろう。運転手が頭に来て、早く逃げたが、子供達から石を投げられた。子供がかわいいが、物乞いは親に教えられたのだろう。お父さんはアフリカも同じ事に出会ったが、石を投げられたことまではなかったと言った。
7/22
竹卞、然鳥湖
夜ずっと高山反応が続いた(頭痛、吐き気)。次の朝はすこし慣れた。ここの国道は川と高い山の中に伸びている砂利道で、とても言葉で形容できないほどの地形だ。鳥湖へ行く途中の景色は国家公園のようにとても美しい、今晩我々は湖畔に野営する予定。車毎にルーフ上キャンビンを付けたから。今までタイヤ2本バーストしたがこれからの道は今より走りにくいだろう。