香港高地探検団 2006
文:馬依琳
圖: 莫炳亮及御風車隊全體隊員 |
|
8/1-8/4
那曲, 格爾木, 花土溝, 入新疆
唐古拉山はチベットと青海省の境にある。チベットさえ出れば、鼻血に悩まされた日々がようやく終わる(空気がすごく乾燥しており、どんなに水分を補給しても鼻血は出てしまう)チベットを出れば、あの小さな手の物乞いに会わなくて済む。チベットには絶景の風景美と心を奪われる様な装いがある。ただ残念なのは、この風景美とはミスマッチな、貧しく汚らしい子供の物乞いだ。一度見てしまうとチベットで得た素晴らしい体験に一つの失望を残す。
沿沱沱河(長江の源流)から可可西里(無人区)、昨年放映された藏羚羊の大量殺戮によって絶滅の危機に見舞われたノンフィクション映画「可可西里」。我がチームは野獣と荒涼とした大地を1キロ1キロと進んでいった。上空には鷹より大型なカラスが飛び交っている。草原には馬よりも足の速い藏羚羊の群れ。テレビでしか見れなかった物を実際に体験すると何とも言えない感動を覚えた。
可可西里は20万平方キロメートルの無人区で断崖絶壁の昆侖山脈に囲まれている。山脈頂は雪に覆われていた。昆侖山脈には圧倒された。
新疆に入り、我チームは全長1000キロ以上の国道315号線へと進んだ。今日最も過酷な区間は、道なきラフロードの走行であった。全区間が渓谷であった。道幅は狭く地滑り、落石が頻繁に起こり、急カーブが多い所を上空を気にしながら命乞いするかのように走行した。我チームは無力な蟻のように逃げたり隠れたり、踏み潰されないように走行しているような物だ。河床へ進行した際、一台の小型車が目に留まった。「あんな小型車が走破できるのだろうか?故障したらどうするのか?」と思った。そんな事を思っていたら道には一台の車も居なくなった。
やっとトランシーバーより「道です」との報告を聞いた。中国国内にはこの様な悪路が、どのくらい存在するのだろう。
砂漠上の国道に入った。車は前進、砂は横殴り。そんな中、父からの電話が鳴った。連日くる電話の内容は同じで「車は事故を起こしてないか?」ばかりだ。なんと「悪事は千里を走る」其のものだ。誰が知り得たであろう8号車がこんなにも早く故障するとは。砂漠は容赦なく襲い、あちらこちらで竜巻が起こっている。我チームは幾度と無く竜巻の中を走行した。車が上下左右に揺さぶられ、これは何とも愉快であった。
8/5-8/8
于田, 達裏雅布依, 和田
室外温度は50℃を既に超えている。我チームは于田に到着した。後日砂漠へ突入するのだ。車から降り皆が口を揃えて「なんと言う都市だ」と言った。砂埃が蔓延し短時間で目、耳、口へ砂が入り込む。当地の人によると于田は一年の内300日くらい、この様な悪天候だと話してくれた。全都市黄砂に包まれて居る様で、ホテルのロビーも一面砂だらけであった。
于田市内で各家の門に青い札が掛けられているのを見つけた。これには「良妻、良婆、低収入」等、各家庭事情が書かれていた。私は新疆の南北での違いを発見した。南新疆維族は外からの来た人間と交流したり、一緒に写真を撮ったりする事を歓迎しない。新疆人は、とても興味深い。ある人はヨーロッパ人や中東人に似ているし、子供は西洋人形に似ていた。しかし毎回カメラのレンズを向けると彼らは無表情と化す。シャッターは切れない・・・この時ほど彼らに歓迎されてない事を痛切に感じた。
我チームが于田に来た目的は「死の海」と言われる<達裏雅依>、塔克拉瑪干沙漠の中腹220キロ地点へ行く為の準備の為である。この地名は、現地の言葉で「入ったら出て来れない」を意味する。達裏雅依は世界二大流動砂漠において唯一奇妙な淵で、1300人あまりの克裏雅人が生活をしている。克裏雅河が幾度と無く氾濫し、ここ達裏雅依を世界で最も孤独な地にした。
砂漠へ突入する為、車内の荷物を全て降ろし、水と工具のみで向かった。なぜなら車が軽いほど成功のチャンスは多くなる。車での前人未到の地なのだ。
全く砂漠の砂は水のようだ。停車するならば正確な場所でないと駄目だ。不正確な場所だと忽ち沈んでしまう。なので正確な場所でないと停車できない。とても綺麗で黄金色の砂は絶対停車してはいけない。色が濃いほど、植物に近いほど良い、そこは沈み難いからだ。水辺は絶対にいけない、雪解け水の如く急速に沈みこむ。結論を言うと「目配り怠らず正確に、恐怖に打ち勝つ」車をクレイジーの如くブッ飛ばす。外は灼熱地獄だ。初めの頃、我チームは砂にタイヤを取られ動けなくなった。だから車を降りスコップで掻き出す。私達が最も困難なのはこの事ではなく、当地ガイドの無表情、冷ややかな眼差し、統一性の無い案内であった。この為我チームは砂漠を何十週したような気分になった。私達は、だんだん不安になってきた。時計は既に深夜12時を回っていた。この「現地人」は、一体何を考えているのだろうか?帰宅の道を忘れたのだろうか?我チームの目的は昆侖山から流れ出る川に到着する事が成功を意味する。この小川は幅が広く、流れが急であった。我チームは唯一ここを車で走破に成功した。以前挑戦したチームは、どれも悲惨な結果で大半が途中で故障したとの事だ。我チームは砂漠走破用にパリダカールで用いられている改造を施し、更に砂漠経験者のみのチームであった。前後デフロック以外に270キロリットルの大型ガソリンタンクと40キロリットルの水を用いただけだった。
母は当地の村民を訪問した。彼らはとても友好的で「私は、ここ達裏雅依が好きになった」と言うと、彼らは、「ここを永住の地として離れず、外の世界の事は関係ない」と答えた
翌日の朝、砂漠の様子が一変していた。昆侖山から流れ出ていた川は既に無くなっていた。我チームは、又しても目標を失った。ただ勘だけが頼りだ。
我チームは非常に楽しく砂漠に別れを告げ、一路和田へ向かい白黒手掴みご飯を食べ、和田玉購入をした。手掴みご飯とは何度食べても飽きない羊肉ご飯だ。ホテルに帰ると村の幹部が私達に一通の封筒を手渡した。それは我チームが香港からきた唯一、車でこの村に来たチームの証明書だった。それを見て、皆で笑った。